起こしてはいけないが、もし戦争になってしまったら… 日本とベトナムの戦後から考える
4月30日はベトナム戦争(1955~75年)の終結50年でした。私は当時、小学生でしたが、戦争の悲惨さを訴える「ナパーム弾の少女」や沢田教一の「安全への逃避」などの写真をよく覚えています。今年2月、取材でハノイを訪れた機会を利用し、知人のチン・デイン・ボンさん(31)と一緒に、近郊にある軍事歴史博物館を訪れました。
昨年11月に開館したそうですが、まず、その巨大な建物に圧倒されました。建物正面に設置された塔は45メートルもあります。ボンさんが「独立した1945年を意味しているのだそうです」と教えてくれました。雨が降りしきる平日の午後でしたが、高校生や若い兵士の集団が大勢見学に訪れていました。軍服を着たお年寄りの姿もありました。入館料金は無料です。

ハノイ近郊の軍事歴史博物館=2025年2月25日、牧野愛博撮影
広大な館内は、抗仏独立闘争(1946~54年)とベトナム戦争、現代のベトナムを巡る安全保障という三つのテーマに分かれていました。私はベトナム戦争のコーナーを約2時間かけて見て回りました。旧ソ連から提供されたミグ21戦闘機や、1975年4月30日にサイゴン(現ホーチミン)にあるベトナム民主共和国(南ベトナム)大統領官邸に突入した戦車などが展示され、ベトナム語と英語による詳しい解説が添えられていました。
しばらくして、何となく不思議な感覚に襲われました。その理由はすぐにわかりました。
牧野記者が感じた不思議な感覚と、その理由は展示の内容にありました。日本とベトナムがたどった道の違いが色濃く反映された風景が広がっていました。