核兵器使用をめぐる温度差 印パ紛争から考えた核戦争の恐怖

抑止、標的国の存在、劣勢回避…。各国が核兵器を保有する意図には隔たりがあります。その違いが如実に表れたのが5月のインド・パキスタンの衝突でした。どういうことなのでしょうか?
牧野愛博(朝日新聞専門記者) 2025.06.15
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インドとパキスタンによる5月の武力衝突は、まだ我々の記憶に新しいと思います。衝突は5月7日に始まり、両国はミサイルなどを使用した後、10日に停戦で合意しました。朝日新聞を含む世界のメディアは「核保有国同士の衝突」と伝えました。でも、どのくらい核戦争の危機に瀕していたのかはよくわかっていません。核問題に詳しい東京外国語大学の吉崎知典特任教授はかつて両国を訪れた経験があります。吉崎氏ら専門家にお話を伺いながら、核戦争の可能性がどのくらいあったのか、日本は何を学ぶべきなのか、自分なりに考えてみました。

東京外国語大学の吉崎知典特任教授

東京外国語大学の吉崎知典特任教授

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2024年1月時点で、インドは172発、パキスタンは170発の核兵器を保有しています。それぞれ、地上や空中、海中から発射するミサイルに核弾頭を搭載できるとみられています。このため、各メディアはインドとパキスタンの衝突を報じる際、必ず、「核戦争に至る懸念」に触れていました。

同じような核戦力に見える両国ですが、吉崎氏によれば、インドとパキスタンでは核兵器の使用に対する考えにかなり隔たりがあるそうです。吉崎氏は、インドがロシアと共同開発した超音速巡航ミサイル「ブラモス」に関心があるという内容の情報に触れた経験が何度かあるそうです。

インド・パキスタン、考え方に隔たり

こういった最新型のミサイルは、両用兵器として核を搭載できるほか、一度高度を上げた後で低空に移る不規則な軌道を取るなど、迎撃が難しいミサイルです。インドは原子力潜水艦も保有しています。原潜は相手の攻撃を受けにくく、長期に海中にとどまって核の運用能力を高めることができます。ただ、インドはこうした核戦力のアピールを控えていたそうです。

これに対し、パキスタンの核開発はインドへの対抗を強く打ち出しています。吉崎氏は首都イスラマバードを訪れた際、核実験場の巨大な模型がハイウェー脇に建設され、車内から誰でも見られるように展示されている様子を見て驚いたそうです。パキスタンでは、核実験は主権と独立を象徴する国家事業であり、北朝鮮の姿勢に似ているそうです。

今回の印パ紛争でも、パキスタン側から「核兵器の管理を統制する国家司令本部の会議が開催される」という、核兵器の使用をほのめかすような情報が一時流れました。なぜ、インドとパキスタンで核兵器の使用を巡って温度差が生まれるのでしょうか。

吉崎氏は「両国の間で、核兵器を使う目的が異なるからです」と語ります。インドの核兵器はパキスタンではなく、中国をにらんで開発された兵器です。インドとパキスタンが軍事衝突する最大の要因は、カシミール地方の領有問題ですが、同地方と首都ニューデリーは距離(戦略的縦深)があるため、紛争がそのままインドの国家的存亡にかかわる可能性も高くありません。核兵器の使用に安易に言及すれば、中国に続いて超大国の地位を目指したいインドの国際的な信用も落ちてしまいます。

これに対し、パキスタンは核兵器による抑止に重きを置きます。陸上兵力は約60万人でインドの約100万人に大きく水をあけられています。今回の武力衝突ではミサイルやドローン(無人機)でインドと互角の戦いを繰り広げたという評価が出ていますが、全面衝突に至ればそのまま国家の存亡に直面します。カシミール地方から首都イスラマバードまでの距離は200キロにも満たず、戦略的縦深がありません。こうしたことが、パキスタン発の「国家司令本部会議の開催」情報に結びついたのでしょう。

「使わざるを得ない状況」とは

では、今回の衝突は深刻な状況だったのでしょうか。

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  • 牧野愛博(まきの・よしひろ)

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