核抑止と廃絶で揺れる太平洋の島、そこで見えた日本の姿 核のゴミ捨て場が故郷の人々は何を思うか
8月6日と9日は、広島と長崎に原爆が投下されてから80年でした。あらためて被害に遭われた方々のご冥福とお見舞いを申し上げたいと思います。私は6月から7月にかけ、中部太平洋・マーシャル諸島に出張しました。「原爆投下80年」にあたる今年、計67回もの核実験が行われたマーシャル諸島の人々が何を考えているのか、取材しました。
マーシャル諸島は29の環礁と五つの独立した島で構成されています。米軍は1946年から58年にかけ、ビキニとエニウェトクという二つの環礁で核実験を行いました。1954年3月1日にビキニ環礁で行われたブラボー水爆実験では、付近を航行していた日本のマグロ漁船「第5福竜丸」も死の灰を浴びて被曝しました。

1946年6月にビキニ環礁で行われた核実験=米国立公文書館ファイルから
このため、マーシャル諸島の人々は核の廃絶に強い思いを持っています。23年には同国の国会が、福島第1原子力発電所の処理水の太平洋放出に対する重大な懸念を決議したこともあります。日本人が「処理水は安全ですから」と説明しても、マーシャル諸島の人々はなかなか信じてくれません。現地の関係者は「ビキニ環礁の例があるからですよ」と教えてくれました。ビキニの人々は核実験後の1975年に一度、帰郷しました。米国が核実験終了後に除染作業を行い、「問題ない」とお墨付きを与えたからです。でも、健康被害が確認され、ビキニの人々は78年に再び故郷を追われました。
同時に、マーシャル諸島は、外交や安全保障で多くの分野を米国に委任する自由連合盟約を結んでいます。米国の支援額は、マーシャル政府予算の半分以上を占めます。マーシャル諸島は、国連などで米国の政策や行動に真っ先に賛意を示す国の一つとして知られています。私はヒルダ・ハイネ大統領にインタビューしました。ハイネ氏は核廃絶への強い意思を語りましたが、米国を非難する言葉は控えました。理想としての核廃絶と、現実の問題としての核抑止の間で揺れている様子は、まるで日本の姿を見ているようでした。
一方、在マーシャル諸島日本大使館に専門調査員として勤務したことがある黒崎岳大・東海大准教授は「マーシャルの人々にとって、処理水の問題は初めてじゃないんです」と語ります。
「処理水の問題が初めてではない」というのはどういうことでしょうか?それは過去の日本の政策に対するミクロネシア圏の人々の怒りがあったようです。